自由でいる強さ


ふと、数年前に収録されていた矢野顕子さんのインタビュー音源を見つけて聴いていたら、幼い頃にピアノが大好きで習っていたけれど、教えられた通りに弾くことはとても苦手だった、と発言していた。

「ピアノの発表会で決められた曲があるのに、途中でどうしても弾けなくて自分で勝手に弾き出してしまって、もういいか、というところで終える(終わる)。当然、先生からはご褒美シールがもらえなくて、すごく憧れていたんだけれど「チッ」って他の子達を羨ましく見てました」というようなことを矢野顕子さんは言っていた。

それを聴いて、なんだかすごく納得した。ほっとした。

もちろん矢野顕子さんは天才的なピアニストなので、そしてその後も様々な努力をして

今のような道を歩いて来られているので、

その人と同じにするつもりはさらさらないのだけれど、

やっぱりそういうあり方だってありなんだ、という太鼓判を押してもらえたような。

***

小学校1年生になったうちの娘が学校に行くのがつらい、と言う。言うだけで、毎日通ってはいるし、お友達と遊ぶのは楽しくなってきたようで、まあ、まあ、ヨイヨイと見守っているのだけれど。でもまあ、行くのがつらいのなら、行かなくてもいいんじゃないか、と心の奥で私は思っている。

彼女は、昔から歌うことや踊ることや楽器を弾くことが大好きで、今も家にあるおさがりのピアノでポロンポロンと上手に見よう見まねの曲を弾く。(矢野さんみたいな才能があるってことではありません、あしからず・・・)とにかく楽しそうなのだ。

でも、学校の音楽となるとその楽しさが減ってしまう。

かと行ってピアノ教室に通うことも嫌がる。ただ一人で、あるいは私と適当に弾いていたい。 毎日のように弾いている。

逆上がりが大好きで、校庭にある一番高い鉄棒でくるくる回るのはもちろん、うんていやブランコや登り棒の上の方でも逆上がりをする。

「体操教室に活かせたらいいんじゃないか」と周囲も言うし本人ももっといろんな技を身に付けたいと言うので見学に行ったけれども、みんなと混じってやる、という、その雰囲気に躊躇してしまう。

そしてとりあえずは諦めて、でも、「危ないから降りてきなさい」というほど高いところでくるくると回ったり、手足を伸ばして気持ち良さそうに笑っている。

と言うことで、今も彼女はただ自由に過ごしている。

私は、それでいい、と思っている。

学校という場所が窮屈だと感じる感性も、

誰かに根気よく基礎を習うのがつまらないと思う気持ちも、

一人でずっと逆上がりを今はしていたいという衝動も、

彼女の内側から動き出すものだ。それを余計な手出しをせず、ただ見守るのがいいのじゃないかと思っている。

ただ自信がなくなる時もある。

親は何もしていないと不安になる。

なんとかしてあげないと不安になる。

私も親なので、持てる才能は伸ばしてやりたいと思うし、

社会に出て行くためには少し窮屈な中で基礎を学ぶことは必要なんじゃないかと、思ったりもする。

学校に行きたくないというのを、なだめすかして、気持ちを変えられないものかと焦ったりもする。

どこまでそっと見守れるかは、私自身のあり方にも関わってくるのだ。

でも今日矢野さんの発言を聞いて、確信した。

不安でもやっぱり、親は何もしないほうがいい。

今は、彼女が気持ちがいい、と感じる時間をできるだけたくさん持つことが、大事なんじゃないか、と思うのだ。

笑顔になる時間が増える方が、いい。

そして嫌な気分を味わう感覚も、否定しない。

一歩を踏み出すとしたら、自分が踏み出さないと、何も始まらないと思うのだ。

それは、天才的な矢野顕子さんの才能をもった誰かだから許される自由さ、と思ってしまうけれど、そうではないと思う。

誰の中にも自分が知っている自由があって、私たちは誰でも、その自由さを丁寧に拾って

それにしたがって、たとえ、ご褒美のシールがもらえなくって悔しくても、その自由さの方を

大切にして毎日がむしゃらに、過ごすべきなんだ、と思う。

娘も、私自身も。


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