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© 2019 by Yasuko Tamaiko

ha-ha story

この子がこの子で生まれてきてくれてよかった、そう思い続けて生きていきたい。
​冨野玲子さん

自然療法のセラピストとして活躍する冨野玲子さんとの出会いは2010年。共通の知人に連れられて、冨野さんが学院長を務める「自然療法の国際総合学院IMSI」というセラピスト育成スクールを訪れたのが最初でした。

 

冨野さんは、IMSIの学院長として、またベトナム発祥の「顔のリフレクソロジー」ディエンチャンを日本に伝える第一人者として活躍されています。ディエンチャンは、顔のツボを独自の道具で刺激する施術。私の長女が生まれてすぐの頃、施術をしてくれたこともありました。

そんな彼女がha-haになられたと聞いたのが1年前。42歳での初産で、しかも自然妊娠。可愛い赤ちゃんとの写真や、自然体な育児の様子がSNSに投稿されているのを見て、力が抜けていながらもどんと構えたあり方が素敵だな、と思っていました。

 

最近になって、冨野さんはご本人のblogでお子さんが、ダウン症児であるということを発表されます。その中で、このように書かれています。

 

イタリア旅行のはずが、着いたらオランダだったような、

「あらららら~」という感は、ありましたが。

このスペシャルな子の存在は、

セラピストとしての私自身にも、

大きな変化をもたらしてくれました。

私はこの文章を読んで、ブワッと鳥肌がたってしまいました。どうしたら、そんなにも軽やかに、自分の子どもの障害を受け入れることができるんだろう、と。そこで、この度、久しぶりに冨野さんにお会いして、お話を伺いました。

日々の自然療法が、妊娠にも育児にも役立っています

——冨野さんは先日blogで、お子さんがダウン症であるということを公表されましたよね。でも、産後1年間はその件には触れていらっしゃらなくて。そのときに、書かれていたお気持ちがとても印象的でした。今、お知らせしたのは何か心境の変化があったんですか?

 

30代の後半になって、もう自分はきっと結婚しもしないで、一人でやっていくんだろうなあ、と、勉強や仕事に打ち込んでいた時期に、長年友人だった今の夫とお付き合いすることになったんですね。でも夫婦ともに、当初から、仕事や勉強で飛び回っていて。妊娠がわかったのは、結婚して3年目。いわゆる“妊活”はほとんどしないで諦めていた時に、41歳で妊娠、42歳で出産したんです。

 

——自然妊娠だったんですね。不妊治療をしなくても普段から体作りを心がけていらっしゃったんですか?

 

特別なことではなく、心身の状態を良くするのは日常的に気をつけています。それは今も。たとえば、ディエンチャンの顔マッサージは疲れを取るために毎日やっていますが、結果的にそれが婦人科系にも良かったりするんです。目は卵巣の反射区で、鼻は子宮の反射区。目が疲れたな〜と思ってゴリゴリやることが、ホルモンバランスを整えるのにも役立つし、花粉症対策で鼻の滞りを取れば、婦人科系にも効果がある。あとはやっぱり冷えの解消、普通に、お風呂でアロマ使ったりとか、普段から体を動かして筋力をつけるとかですね。

娘がダウン症だと知らせることで、周りを怖がらせたくなかった

ただ、42歳で出産すると、周囲のアラフォー妊活中の人に、夢と希望を与えてしまって。IMSIの生徒さんとか、「私も冨野先生のように自然療法で頑張ります!」と言ってくれる方もいたんです。でも高齢出産だと、「ダウン症」って心配なことの一つじゃないですか。だから、妊活中の人に子どもがダウン症と言えなくなっちゃってたんですね。高齢出産ってやっぱり怖い、やめようって思ってほしくないと思って。

 

 

——セラピストとしての冨野さんに憧れている生徒さんも多いでしょうし、影響力も強いですものね。それに、こういうことって、どんなイメージを持たれるかはわからないですしね。

 

だから積極的には言ってなかったんですが、子どもが1歳過ぎると、妊活の話よりも私の子育ての話を聞きたいという声が増えてきたんです。でもやっぱりちょっと特殊な子育てだから、ダウン症だということは隠しきれないし、夫も私の仕事を理解してくれて、困っている人に役立つ情報があるなら話してあげたらいいんじゃない、と応援してくれたんです。だから、そろそろいいかな、と。ちゃんと公表して、自分にわかることや情報はシェアしていけたらな、と思っています。

 

——blogでも最初に、お子さんへの自然療法の効果を書いていらっしゃいましたが、育児でも自然療法のケアが役立っているんですね。

自然療法って子どもにはしちゃいけないとか、妊娠中は禁忌で注意が必要って言われているけど、正しくしてあげたらどんな人にも効果があるんですよ。娘はおかげさまでダウン症児にしてはすごく発育も良くて、好奇心も旺盛で、みなさんに驚かれるくらいなんです。日頃のこういうケアはやっぱり効果があるんだなあ、と改めて驚いているところです。

 

娘は、生まれつき心臓に穴が空いていて、今度もまた手術をするんです。そういう時は西洋医学にもちろんお世話になって、でも普段は、風邪くらいでは病院には行かず、自然に日常的にケアすることで体を作ってあげるようにしています。

妊娠中は、サクッと産んですぐ仕事に戻るつもりでした

——妊娠中も忙しくされていて、産後すぐにお仕事に復帰される予定だったということですが、お嬢さんの体のことや障害のこともあり、そのあたりは変えざるをえなかったと思います。 実際、どのような状況や心境の変化があったかお伺いしてもいいですか?冨野さんの妊娠時代は、とても順調だったということですが。

そうなんです。悪阻もなくて。元気すぎて、周りからも、「お腹が大きいだけで妊婦に見えない」と言われるくらい。サクッと産んで、すぐに仕事に戻るつもりでした(笑)。それがスクールを運営するものとしては当たり前の責任だと思っていました。

 

でも、生まれてすぐに、障害があることがわかって。もう、すべてがガラリと変わりましたね。当初は、ダウン症の子を育てるのがどういうことかも、まったくわからなかったですし。

 

——実際に障害がわかったのは産後すぐでしたか?

 

実は、妊娠初期から、医師にはダウン症の可能性は示唆されていたんです。ダウン症児の特徴の一つなんですが、首の後ろのむくみがあると言われ、羊水検査を受けるかどうかという話も出て。でも、夫に相談したら、「えー、違うんじゃない? 大丈夫だよ」ってすごくあっけらかんとしてて。それを聞いたら、私も、そうだよね、違うよねって、なんか思えたんですよね。

 

——旦那様の言葉で、ホッとしたんですね。妊娠中って不安になりやすいと思うんですけれど、そう思えたってことは、旦那様の支えが大きかったのでしょうね。

 

すごく朗らかな人なんですよね。羊水検査も受けてもしょうがないよねって話になって。もう、妊娠中はそのことは、忘れることにしました。少なくとも、私はすっかり忘れていました(笑)。ただ、夫は違ったんです。私には「絶対大丈夫」と言っていたけど、本当は、「そうなのかな、そうかもしれない」、と考えていたみたいです。

診断結果はすごく穏やかな気持ちで受け止められました

 

——じゃあ、診断を聞いた時の反応は…。

 

産後1日目も、顔からはダウン症の特徴が見られなかったんです。でもね、出産後、2日目くらいに、「あれ、うちの子、昨日と顔が違うなあ」と思ったんです。3日目に医師から先天性異常の検査を勧められて。あ、これはもしかして、と思いました。

実際に、「ダウン症候群」と書かれた紙を医師から渡された時は、夫婦ともに、暗い感じではなくて、すごく穏やかに。そうなんだねって受け止めました。

 

私の両親も、驚いてはいたけれど、とてもかわいがってくれて。娘もすっかりなついて、毎日、近所に住む両親の家に入り浸っています。

 

——それが、あのblogに書かれていた「イタリア旅行のはずが、着いたらオランダだったような」という心境なんですね。そんなふうに、ふわりと暖かく周りの人の愛情で迎えてあげられるって、すごいことですよね。だからこうして、お嬢さん、いつもニコニコ笑っているんですね。人懐こくて、すごくかわいい。

 

かわいいって。よかったねぇ。

障害がある娘がいるからこそ出会えた世界がある

 

——現在はどのようなペースで育児とお仕事を両立されているんですか?

 

娘は、1歳になった今でも療育センターや病院などに週1~3回は通っています。フルタイム出勤はできないので、受け持ちのクラスが無い日は自宅で仕事ができるように、スタッフにも助けてもらっています。

 

あとは、この子が生まれて、ダウン症児を持つ親の会に入っていて、同じ境遇の方と、情報交換させてもらっています。先日、アロマセラピー、リフレクソロジー、ディエンチャンでダウン症児を持つ親御さんたちを癒すイベントをしました。あと、地元で知的障害をお持ちの方の入居・就労施設があって、そこでもボランティアもさせて頂いています。

——仕事以外にもボランティア活動もされているんですね! すごい!

やっぱり全部がつながっていて。実際、IMSIには、お子さんに障害があったり、ご家族がご病気だったり、介護をされていたりする方もたくさんいらっしゃいます。だから、私が仕事外のところで学んだことがまた仕事に生かされるかもしれないし、逆に仕事でやってきたことが、そういうダウン症のお子さんや、むしろご家族を癒すのに役立ったりするかもしれない、と思っているんです。
ダウン症の人が安心して暮らせる場所を作るのが夢

母になって、いろんなことが変わりました。一番の心配は、この子が、大きくなってからどうなるだろう、私たち亡き後どうすればいいんだということ。今、考えてもしょうがないことも多いから、普段は、思い悩んだりはしないようにしていますが、その不安は、ずっと消えないです。

本心は、子供より1日でも長く生きたい。でも、それは無理かもしれないし、生きていても体が動かなくて世話ができなかったらしょうがないですものね。

だから、ある程度自分たちが動ける年齢の時に、この子が、私たちがいなくなっても、ここで暮らして、ここで仕事をして、という絵がなんとなく見えた状態にしないと死ねないという気持ちはありますね。

——将来が不安だ、というところにとどまらずに、自分たちで場所を作っていくという発想なんですね。勇気づけられます。

まあ、今は思ってるだけで、何も動けてはいないですけどね(笑)。ただ、自分たちが死んだ後もこの子がいられる場所がある、大丈夫だって、思えるためには、自分たちでダウン症の人が安心して暮らせたり働けたりする場所を作るべきだ、と夫とは話しています。それが私たちの夢ですね。

 

最初から最後まで笑顔で接してくれた、冨野さんとお嬢さん。抱えきれないような思いが幾度も襲ってくる時があるだろう、ということは想像に難くないですが、それでも、二人の、笑顔から、日々穏やかににこやかに、一緒にいる時間を大切にされている様子がひしひしと伝わってきました。

最後に、冨野さんはこんなことをおっしゃっていました。障害の有無にかかわらず、子どもを丸ごと受け入れるというのは時に難しいことですが、ha-haになった以上、いつもこういう気持ちを思い出し、持ち続けることができたら、と思っています。

 

 

 

「私は、今、この子が生まれてきてくれて本当に良かったって思ってるんです。この子のおかげで新しい世界が広がりました。

ちょっと言葉は適切でないかもしれないけど、この子がダウン症を持って生まれてきて、逆に良かった。

そういうふうに、これからも思い続けることができたらいいなと思っています」

インタビュアー

ライター・編集者。考えるひとりのha-ha。


1979年大阪生まれ。2002年早川書房入社。翻訳書籍の編集を経て、2005年秋よりベトナム・ホーチミン市に移住を機にフリーランスに。帰国後も、くらし、仕事、女性の生き方、旅、子育てなどをテーマに様々な書籍・雑誌・web 媒体で編集・執筆する。2010年以降は、子どもとお母さんのことにまつわる記事執筆、企画・編集多数。

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